「何のためにやるのか」を考えることは常に重要


こんばんは、まろたです。

前回、何故我が家で現金を多く持っているのか説明しました。

一見合理的でないやり方ですが、自分の心理面の動きも考慮しての戦略です。

投資スタイルに対する議論

現金や債券を余計に持つというのは、リターンの最大化という観点からは悪手でしょう。

しかし、「経済的自由を手に入れる」という自分の目標を確実に達成するために考えた戦略な訳です。

多少リターンが劣っても、市場に長く居続けて手堅くリターンを得ることが重要だと考えるからです。

ところで「グロース株vsバリュー株」「景気敏感株vsディフェンシブ株」の論争をご存知でしょうか。

グロース株とは、Amazonのようなどんどん成長していく銘柄のことを言います。

一方バリュー株とは、その銘柄の実力と比べて株価が割安だと思われる銘柄のことを言います。

グロース株は割高になりやすく、バリュー株はその後の株価や利益の成長力が弱いことが多いです。

「景気敏感株vsディフェンシブ株」については、景気変動について真逆の反応をする特徴があります。

それぞれが相手の投資法がいかに間違えているかを主張するブログ記事をよく見かけます。

ただ、私の目にはあまり議論が噛み合っていないように映ります。

投資の目的が違うのに、無理矢理相手を自分の土俵に上げて議論しているように見えるのです。

このテーマについても、「何が投資の目的か」をはっきりさせると見えるものがあると考えています。

グロース・景気敏感株推奨派は、平均以下のリターンしかないと相手を評価します。

バリュー・ディフェンシブ株推奨派は、相手がやっているのは単なるギャンブルだと評価します。

平均を上回る大きなリターンを求めるなら、景気の波に乗る前者の投資法をとる必要があるでしょう。

ギャンブルの要素は大きいですが、それも承知でしょう。大きいリスクが大きいリターンを生みます。

一方で、市場平均を多少下回っても安定したリターンが欲しければ後者の投資法が適するでしょう。

その場合、株価の動きを予想し、頻繁に売買する必要は無く、ギャンブルの要素は小さくなります。

全ては自分が株式投資によって何を求めるか次第です。

退職金をどう考えるか

株式投資の話題からは離れますが、「退職金をどう考えるか」も面白いテーマだと思います。

私の勤める会社は定年まで勤務して初めて退職金を満額もらえます。

定年直前に辞めても何割か受給額が少なくなります。入社10年以内で辞めようものなら雀の涙です。

そんな訳で、多くの人は定年まで会社にしがみつこうとします。

FPのライフプランでも、1000万円~2000万円の退職金が含まれている場合が多いです。

それでも、私は2000万円の退職金をもらうためだけに会社に残ることは無いと思います。

合理的かどうかは目的次第

会社を辞めて安定した給料と退職金を捨てることは「もったいない」ことのようです。

実際に辞めた後輩も、同僚から散々もったいないと言われていました。

でも、本当のところ何がもったいないのでしょうか。

辞めなかった時と比較して手に入る金銭の額が小さくなることでしょうか。

確かに、人生の目的が「生涯で得る金銭を最大化すること」なら、辞めない方が良いでしょう。

「名の知れた企業で出世して人から羨まれる存在になること」が第一なら、やはり残るべきです。

でも、同僚はそこまで考えてもったいないと言っているのでしょうか。どうもそうは思えません。

自分が何を目的に生きて、何を楽しいと感じるのか、真剣に考えたことが無いのではと思います。

そして、幸せに生きるために金銭はいくら必要なのかも、分かっていないのではないでしょうか。

私の場合、必要な金銭の額は把握しています。経済的自由が達成できればそれ以上は望みません。

あれば楽しく使いますが、退職までの残り10年以上を金銭のためだけに居座る必要は無いです。

退職金の額が2000万円でも2億円でも多分変わらないでしょう。

60歳過ぎて2億円もらっても、有効な使い道は少なそうです。身体が満足に動くかも分からない。

それより2億円もらうために犠牲にした40代後半~50代の方がよっぽど「もったいない」です。

自分の「歪み」を知る

全てが手に入るなら別ですが、人生は有限なので優先順位をつける必要があります。

優先順位をつけるということは、大切にするものと捨てるものを決めるということです。

世間的には、多くの給料をもらって、有名な会社で名誉ある地位に就くことが幸せとされています。

でも自分はそうは思いません。強がりではなく、心からそう思わないのです。

この世間の認識=「常識」からの乖離を、私は自分の「歪み」だと捉えています。

そして、自分がどの点でどう歪んでいるのかを把握しておくことはとても有用だと思います。

「常識的」な人が当たり前のように求めるものは割高になっていることが多いです。

自分の歪みを理解していれば、満足度を落とすことなく、その割高なものを見送ることができます。

そして、自分が本当に必要としているものに資源を集中させることができるのです。

これからも自分の「歪みポイント」をどんどん発掘して、より楽しい人生を送っていきたいです。

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