足るを知る生き方の落とし穴


こんばんは、まろたです。

中々お正月気分が抜けません。困ったものです。

いつもより長い年末年始のお休みで、同じような方も多いのではないでしょうか。

今日はお正月ということもあって珍しく民放をたくさん見ていて思ったことを書きます。

お正月の民放は初売りのCMが目白押し

お正月のテレビで目に付いたのが、初売りのCMでした。

車だったり服飾のバーゲンだったり…

それを見て私は静かに思いました。

「今あるもので十分満足に暮らせていますよ」と。

そして、自分はもう何年も「何かが欲しい」と思ったことが無いと気づきました。

購入するのはもっぱら生活必需品。それも普段から買っているものばかりです。

あまりにも無感情に情報を遮断している自分を客観視し、少し怖くなりました。

生活レベルを上げることが怖い

服はもちろん車でも、買えないことは決してないはずなんです。

でも、そういう気持ちになれない。どうしてなのか。

思うに、私は「求める生活レベルが上がることを恐れている」のでしょう。

単発の衝動買いがいずれ習慣になり、それが無いと満足できなくなることが怖いのです。

低い生活レベルで満足できるという自分の強みが失われることが怖いのです。

生活レベルを上げてしまえば、これまで無縁だった節約の苦しみが生まれます。

私は日頃あまり「節約」という言葉を使いませんし、意識もしません。

節約というのは、自分が思う生活レベルを下回る生活を我慢することだと思っています。

低い生活レベルで満足できれば、我慢する必要が無かったのです。

そして、もっと怖いのは経済的自由を達成するために必要な金額が上がってしまうことです。

満足できる生活水準が上がれば資産からの収入もより多く必要となります。

生活するための仕事を早く卒業したいと日々思っている私にとって、それは耐え難いことです。

足るを知る生き方の落とし穴

これまで、このブログでも再三「足るを知る」ことの大切さを説いてきました。

ただ、あまりそれを意識しすぎると自分を枠に嵌めてしまうことになるのかもしれません。

足るを知るとは、自分の身の丈を知るということです。

その身の丈を自分で決めてしまうことは、本当はおこがましいことなのかもしれません。

自分がまだ知らない、人生を変えるような素晴らしい出会いがあるかもしれないのに。

早く自由になりたいという気持ちが先走って、かえって不自由になっていたのかも。

もちろん、人生における時間もお金も有限である以上、取捨選択は絶対に必要です。

「足るを知る」精神は大切にしながら、意識的に余裕を持とうと思わされた出来事でした。

関連記事

人生は有限であり、優先順位付けと取捨選択が必要だと考えています。

目標を意識し、トレードオフを理解していれば欲望をコントロールできます。

ただ、あまりに強く意識すると、それはそれで弊害が出るのかもしれません。

生きるために働くという不自由から卒業するため、資産からの収入を増やしています。

単発の支出のつもりが、実体としては恒常化してしまうことは往々にしてあるものです。

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